その"あれ?"は、ご本人からの、小さなサインかもしれません。
最近、同じことを何度も聞く。少し前のことを、忘れている。「あれ、おかしいかな」——そう思ったとき、多くのご家族の心に、もうひとつの声がよぎります。「でも、うちに限って」。
その気持ちは、とても自然です。認めたくない。大げさにしたくない。年のせいかもしれない。——でも、その「うちに限って」で立ち止まっている時間が、実はいちばん、しんどくなりやすい時間でもあります。
大切に思うからこそ、抱え込んでしまう
「年のせいかな」と、まず自分たちで受けとめる。でも、また同じことが起きる。だんだん、ご家族の中に小さなストレスがたまって、ある日つい「また忘れたの?」と、強い言葉が出てしまう——。
でも、その背中には、たいてい「自分たちで、何とかしてあげたい」という、大切に思う気持ちがあります。優しいからこそ、抱え込む。頑張るからこそ、ひとりになる。
ご本人も、忘れていること自体に気づいていないことが多く、お互いがつらくなってしまう。——だからこそ、早めに気づいて、ひとりで抱え込まないことに、意味があります。
"あれ?"の積み重ねが、気づきのきっかけ
ひとつの"あれ?"は、たいてい、何でもありません。誰にでもある、ただの物忘れかもしれない。でも、それが何度も重なっていくとき——その積み重ねが、「ちょっと、気にかけてみよう」の、きっかけになります。
普段の会話の中で、自然に目に入ることがあります。
- 最近の出来事を、忘れている
- 日づけが、あいまい
- 言葉が、出てきにくい
こうしたことは、専門職がもの忘れをみるときに見ていることとも、重なります。だから、"あれ?"が続くなら、「相談していい」という目安くらいに、受け取ってみてください。確かめようとするより、いつもの会話の中で、そっと感じるくらいで十分です。
そして、気になったら——これからどうしていくかの方向を、一緒に考えるつもりで、相談してみてください。
暮らしの中で、すこしずつ さがしていく
向き合い方は、ひとりひとり違います。その人の性格も、これまでの関係も、その日の気分も、みんな違うから。同じやり方が、ある日はうまくいって、ある日はしっくりこない——それも、自然なこと。
だから、ここでお伝えできるのは「やり方」ではなく、暮らしの中で試せる、いくつかの"視点"。「これはどうかな」と感じながら、あなたの人に合うかたちを、すこしずつさがしていく。その手がかりに、なれたら。
たとえば——
- 「ちがうでしょ」より、まず「そうなんだね」と、いちど受け取ってみる。
- うまく伝わらないときは、メモや時計に、そっと手伝ってもらう。(記憶を、環境が少し肩代わりしてくれます)
ぜんぶ、試しながらで大丈夫。合わなければ、別のかたちを、またさがせばいい。
ひとりで、抱えなくていい
気づいたことは、ひとりで抱え込まなくて大丈夫です。"相談"というと身構えるかもしれませんが、それは診断のためだけのものじゃない。ほんの些細な"あれ?"でも、分かち合える場所が、たくさんあります。
どこに相談したらいいか迷ったら——そうだんリハから、お近くの相談先をさがせます。そして、全国どこからでも。「認知症の人と家族の会」の電話相談(無料・介護を経験した人が聞いてくれます)も、いつでも。
分かち合うのは、ご本人のことでも、見守っているあなた自身のことでも、いいんです。「ちょっと疲れたな」も、立派な相談。
気づいた時点では、まだ何も決まりません。ただ、可能性の扉が、そっと開くだけ。完璧でなくて、大丈夫。気づいたあなたは、もう、ちゃんと向き合っています。
もっと知りたい方へ(公的な情報)
- 厚生労働省「認知症」(相談先・制度など、各種情報の入口)
- 国立長寿医療研究センター「認知症」(理解と、家族にできることの手引き)